河井寛次郎記念館
2017年 06月 23日
先月の事になりますが京都の河井寛次郎記念館へ行き、そのあと河井寛次郎氏のお孫さんの鷺珠江さんと鞍田崇さんのトークセミナーに参加しました。
河井寛次郎記念館。昭和12年に寛次郎氏自身の設計で建てられたもので、寛次郎氏が大変好んでいた信州の民家と朝鮮の民家の良さを取り入れたそうです。
中央の吹抜け。板間の床は1階2階とも朝鮮張りです。
2階は階高の高い本二階で、椅子座の板間と和室があります。
吹き抜け廻りは広く開放されており、障子を開けると縦横に空間がつながります。
2階和室。窓の位置が和室ならではの低さです。窓辺に腰かけると緑に手が届きそう。
階下に見える中庭。この中庭も寛次郎氏の仕事場だったそうです。
居間の囲炉裏横には注連縄と餅花が飾られています。1年中飾られているそうです。
囲炉裏を囲む居間。建物のみならず寛次郎氏の作品が溢れています。
寛次郎氏は人との交流をとても好まれたそうで、河井家は来客の絶えない家だったそうです。
床の一部にガラリの入り口があります。こちらは戦時中に防空壕として使われていたそうです。
階段の上がり始めに下がっている大数珠のようなものは、手摺の役割のものだそうです。実際に持って階段を上ってみると安定感がありました。面白いですね。
中庭に出て奥へ進むと、陶芸の窯があります。
こちらは素焼き窯。寛次郎氏自身の窯だそうです。
さらに奥には大きな登り窯があります。こちらは共同窯で20組ほどの陶芸家で使っていたそうです。
手前は還元焼成、上の方は酸化焼成になるそうで、寛次郎氏はいつも前から2番目の室を使われていたそうです。
昭和46年に使えなくなるまで毎月窯を焚いておられたとのこと。数人の窯焚きさんが二昼夜にわたり火の番をされていたそうです。
内部の壁は、松灰で自然に施釉されています。
一段下がったところにある焚口には注連縄が掛かっています。
窯はとても神聖なもので、窯が焚かれているときはご家族でも女性は立ち入らなかったとのことでした。
寛次郎氏の仕事場。けろくろがふたつあります。手前に寛次郎氏が座っていたそうです。
中庭
素焼き窯の横に、休憩室のような小間がありました。
庭に面しており居心地の良さそうな小間でした。
中庭の縁で記念館の猫「えきちゃん」が昼寝をしていました。岩合光昭さんの写真集の表紙モデルも務めた有名な猫ちゃんだそうです。
2階の階高の高い本二階の外観。「河井寛次郎記念館」の文字は親交の深かった棟方志功氏の書だそうです。
トークセミナーの最後に、寛次郎氏が話しをされている番組の動画が紹介されました。お声やお話をされる表情からお優しく穏やかな人柄であることが伝わってきました。
民芸というと”用の美”という言葉が思い出されますが
「遠く捨て去てさり忘れてしまった生活の肌理(きめ)、あとから美が追ってくるような手の仕事」という言葉に触れ、当時よりもさらに忘れ去られている現代においても根源的なものであることを感じました。
”木の住まいの設計”
一級建築士事務所FRONTdesign 岩城由里子
国産材・県産材を使って木の家づくりをしている設計事務所です。
国産材・県産材を使って木の家づくりをしている設計事務所です。
奈良県生駒市北田原町1052-2
by frontdesign
| 2017-06-23 07:59
| 建物探訪&散歩
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