志賀直哉旧邸 奈良市高畑
2014年 08月 13日
9月に開催するセミナーの打ち合わせに志賀直哉旧邸に伺いました。
奈良公園 芝生の広がる飛火野の南に位置し、東には春日山の原生林か隣接する閑静な邸宅街です。
昭和三年、志賀直哉が自ら設計の筆をとり、京都の数奇屋大工棟梁・下島松之助に邸宅の建築を依頼。
昭和四年に竣工しその後9年間を家族で過ごした住まいです。
文人が集った高畑サロンとしても有名てす。
戦後に進駐軍が接収して改造されましたが(部屋の出入り口の高さが上げられ、内装もペンキ塗り他に改造等)、平成21年には志賀直哉が住居としていた当時の資料等を元に、竣工当時の姿に復元されました。
文人が集ったサロン(サンルーム)と食堂。
この住まいは、室と室のつながりに特徴があると言うことを館長よりお聞きしました。
夫人室前の広縁とサンルームとのつながりは、躙り口のような出入り口と下地窓。なぜ、プライバシーな空間との境が下地窓なのか。
広縁側から見たところ。
庭に面する南向きの夫人室の隣には子ども室がありますが、ここは完全に壁で塞がれていて、過干渉せずにと言うこともあったようです。
そして子ども室からは直接庭に出ることが出来ます。
居間と子ども室の間の壁の開口。居間とはつながりが。
北側の書斎。
書斎隣の茶室。
直哉は書斎の隣に仲間と寛げる和室を棟梁に所望したところ、本格的な茶室がつくられたそうです。
大変広く見えますが、六畳の茶室です。広く見えるのは天井が低いからです。右の躙り口のような貴人口の高さは1.2M程度です。
かけこみ天井のちり際の納まり、
土庇の小舞天井は竹と白樺が交互に。
その他にも、当時の邸宅としての見どころがたくさんあります。
建物全体に、自然木、雑木等がたくさん使われています。
数寄屋風の造りですが、洋風の様式も取り入れた当時としては非常に進歩的で合理的、美的な工夫が随所に見られます。
ただ合理的、機能的と言う主旨ではなく
白樺派としての人道主義、個人主義的な思想がこの家の根本にあり、その精神の表れである設計の工夫について館長から話をお聞きし、感銘を受けました。
9月14日(日)午後2時よりここ志賀直哉旧邸において、平成の復元工事に携わられた桜井の山本工務店山本棟梁を講師にお招きし
志賀直哉旧邸の復元工事と木造技術の継承についてのセミナーを開催させて頂きます。
((公社)日本建築家協会近畿支部奈良会主催 第4回市民セミナー)
詳しくは追ってお知らせさせて頂きます。
ご興味がおありの方は、見学も兼ねて是非ご予定下さい。
by frontdesign
| 2014-08-13 00:42
| 建物探訪&散歩
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