志賀直哉旧居へ

明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

今日は少し用があり志賀直哉旧居を訪れました。この建物は昭和4年に文豪志賀直哉自身の設計で、京都の数寄屋大工棟梁の手で作られた住宅建築です。直哉はこの家で昭和13年までの9年間を過ごします。友人・知人たちとの心の交流を深め、家族の平和と健康を望み、子供たちの家庭教育を行い家族の絆を育むために作られた住居です。戦後は進駐軍に接収され、その後は厚生年金宿泊所として使用され内部は大きく改装されていたそうです。昭和53年に学校法人奈良学園が厚生省より建物を譲り受けて保存に努められ、平成21年に建築当初の姿に戻す復元工事がなされました。奈良学園が名乗りを上げられるまでは解体の危機が何度もあったそうで、今こうして保存修復された姿を見ることが出来るのは多くの方の努力の賜物と思うと大変感慨深いです。(復元工事の詳細についてはこちらから 復元について

改修後に何度も見学させていただいておりますが、今日は今日で新しい発見もあり目の保養をさせていただきました。

南のお庭から見たところ。
南の庭は芝生のお庭で、春から夏は青々とした芝生が広がります。道路側から見ると数寄屋の2階建てですが、南側の棟は平屋建て。たいへん端正なプロポーションで、懐かしいような建物です。私が子どもだった昭和40年代の頃は、このような瓦屋根・木製建具の平屋建ての住宅は珍しいものではありませんでした。
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ここで直哉が暮らした昭和初期は、日本が未だ静かな時代だったことと思います。その静寂さがまだこの界隈には残っており、庭に出るとタイムスリップしたような気になります。



6畳の茶室。
直哉の書斎の隣の部屋で、直哉自身はごろっと昼寝が出来るような6畳の和室にと希望されていたそうですが、数寄屋大工棟梁が茶室をつくられたとのこと。写真で見るとわかりにくいのですが天井がかなり低く、写真右の高い方の平天井で高さ1875㎜!真ん中の蒲の落ち天井は1650㎜です。座ると低さは感じず落ち着きます。天井が低いせいで6畳の和室が広く感じます。
床柱は出節の磨き丸太(桧と思います)で、かなりのねじ木です。(木が成長と共にねじれている木)
このねじ木を選ばれるのは、かなり数寄者かもしれません。直哉は自然のままの木や曲がった木を好んだそうで、数寄屋の和空間だけでなく洋間にも使われています。
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茶室横の水屋。正面の下地窓が水屋の手元を照らして良い感じです。
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直哉の書斎です。天井は太い梁が現しになっており、唯一この部屋だけが古民家のようなつくりで興味深いです。
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夫人の部屋は、南の庭に面する広縁付きの6畳和室です。
隣にはサンルームと食堂があります。直哉が文人画人を集めてこの家で交友を深めていたそうで、当時は高畑サロンと呼ばれていたそうです。夫人の部屋をサンルーム横に配置したのは、女性である夫人も遠慮をせずにサロンに参加できるようにという配慮があったそうです。また、直哉は無宗教だったそうですが、信心深い夫人のためにこの部屋には仏間もあります。
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夫人の部屋がこの家で一番良い場所にあります。
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直哉の部屋(居間)と子どもの空間のつながり。
この格子の入った地窓は、手前の直哉の部屋と向こう側の子どもの勉強部屋をつなぐ開口部です。風が通って気持ちがよく、お互いの気配を感じる窓です。
子どもの勉強部屋(コルク敷き)の南には1段下がった板間の広縁があり、そこで靴を履き庭へ出ることができるようになっています。
なんとも嬉しい仕掛けではありませんか!
子どもたちが芝生の庭に出る光景が目に浮かびます。私なら勉強もそこそこに、すぐに庭に飛び出してしまいそうです。
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子どもの勉強部屋の隣には子どもたちの個室。どちらも4畳半の板間で、それぞれの部屋の境の壁にも障子が入っています。ここも開放的。
外に面する開口部もきれいです。
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そしてこの家で一番有名なサンルーム「高畑サロン」。
床には特注の磚が敷かれています。吹き抜けた天井には天窓があり、ここも梁が現しで力強さを感じます。

写真真ん中の低い入口が、夫人の部屋の広縁に通じる入口です。
上には下地窓があります。サロンにどのような方が来られているか、夫人がこの窓からちらっと確認されていたのかもしれませんね。
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ここは少し離れて台所奥の土間です。
勝手口に通じます。女中さんが住み込みでおられたのでこの辺は仕事の場です。
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文豪志賀直哉は白樺派で、この家の設計にも人道主義的な思想がいろいろなところに表れています。台所と食堂の間にもお互いが見える窓のような棚がありますが、当時は使用人の働く姿を見えるようにするようなことは無かったそうですが、使用人との関わりも持ったとのこと。床のレベルも上下がなく、どこもほぼ平らになっているのも意識的とのことです。(直哉の書斎は下がっていました。)

この建物は文豪の普請道楽で建てられたものではなく、志賀直哉の思想が隅々まで宿っています。
それにしても、直哉の設計能力と美意識の高さを感じずにはおれません。



この家の2階もとても快適で、好きな空間です。2間だけですが大変眺めがよく北東には若草山が見えます。
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2階廊下は幅1間。船底天井です。
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窓には突き上げ雨戸がついています。
明るさは減りますがとても良い感じで、設計に取り入れられないかと思い見ておりました。
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こちらは中庭。この空間が住まいに余裕を生んでいます。
この光景もなんとも懐かしい感じがします。昭和40年代頃は小住宅でもこのような庭を作っていましたね。
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開口部の庇は竹製。竹を半丸に割り、互い違いにして並べてあります。この竹庇がいろんなところで使われていました。
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こちらは先ほどの茶室の露地からの入口。貴人口の障子の高さは1185㎜と低目です。
躙り口を設けず3枚引きの貴人口を設けたのは、直哉の人を分け隔てしない高潔な人柄のあらわれとのことです。
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最後になりましたが、こちらが玄関。
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アプローチ。門の石はとても大きな石です。
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門。ここも出節丸太が使われています。垂木は扇垂木で棟木はクヌギのような雑木の木肌。少し白っぽい木なので何でしょう。
出節と雑木で風情のあるつくりになっています。
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周りは閑静な住宅街で土塀が続き、古き良き時代を感じることのできる町並みです。
飛火野(奈良公園)のすぐ近くですので、鹿の鳴き声も聞こえてきます。
近くには新薬師寺もあり歩くのに良いところです。奈良にお越しの際は是非ご訪問ください。
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今年最初のブログは、奈良で好きな建物のひとつ「志賀直哉旧居」でした。
最後までお読みいただき有難うございました。今年もよろしくお願いいたします。

志賀直哉旧居平面図。(ホームページより)

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by frontdesign | 2018-01-07 07:30 | 和室と日本建築  | Trackback | Comments(0)

国産材・県産材でつくる木の住まいを設計しています。 奈良県生駒市


by yuriko iwaki
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